Words Of Love

王子はお姫様のキスで死ぬ

私のジャニオタ履歴書

先日、レンタルビデオ屋さんのクーポンが出ていたので、CDを借りに行った。昨今のCDが売れないという風潮を助長するような気がするので、できるだけCDは購入したいと考えているのだが、さすがにジャニーズ全般を買い始めると厳しいのが現実。アイドルのみなさんには頭を下げ、レンタルで賄える分は利用させていただいている。レンタルで賄えているうちはまだセーフだ。昨年、その私のセーフライン(こんな言い方もどうかと思うが)を越え、レンタルから卒業したのがSexy Zoneであった。

目当てのものをゲットし、家族がまだ店内をうろうろしているのを待っている間に、私にとって、思い出深いアイドルユニットを見つけた。ハロープロジェクトBuono!である。Buono!は私が高校時代にハマっていたアイドルユニットである。懐かしい、ロッタラロッタラ。後ほど検索したところ、Buono!はまだ活動している模様。離れてからベストアルバムが出ていたようで、大量のジャニーズのCDと一緒に、レンタルして帰った。
…これが罠であった。久しぶりにBuono!を聞くことで、私の懐古癖が過去の記憶の扉を開きにかかった。
 
前置きが長くなった。今回は、最近流行りの記事に便乗して、私のジャニオタヒストリーを書いてみたいと思う。
 
 
 
 
 
1.無知の時代
私は『アイドル』という言葉をよく知らない子どもであった。『アイドル』とは女性に向けてのみ使う言葉だと信じて疑わなかったし、小学生の私にとっての『アイドル』はモー娘。ミニモニ。でしかなかった。
ジャニーズについてはもっとよくわかっていなかった。ジャニーズとSMAPというグループがあると思っていた。USOジャパンや学校へ行こうも観ていたが、そこに出ている彼らは『芸能人』でしかなかった。
出演陣よりも番組の内容重視で、ドラマは大人が観るものだと思っていた私は、『南くんの恋人』を観る弟をマセた子だなと横目で見ていた。南くんが二宮くんだとはつゆ知らず。
ジャニーズを知り出してから、幼稚園年長さんの運動会で踊った曲は『WAになっておどろう』で、小学4年生の体育の時間に、準備運動で使われていた曲が『フラワー』であったことに気づいた。ヒット曲ですら、この状態であった。
 
 
2.なんとなく認識
さて、やってくるのがごくせん(2期)ブームである。中学受験のために学校を休んでいた約1週間のうちに、クラスの女子の話題は、『竜派?隼人派?』になっていた。3話から急いで観始めた。クラスの子が持ってくるドル誌を覗くものの、不良(を演じている彼ら)には特に惹かれなかった。クラシックバレエを習っていたため、メルヘン思考が常につきまとい、絵に描いたような王子様が私の理想であったからである。その王子様とコッペリアの結婚の踊りを踊るのが今でも私の夢である。
それはさておき…。ある日のこと、友達とお泊り会をしたときに、一人の子がMステを観たいと言い出した。(Mステ?しんちゃんのあとにやってるやつかな?)私にとっての当時のMステの感覚である。どうやら彼女の目当ての人が出るらしい。「なんて人が出るん?」NEWS!(…真面目な人達なんかな?)こうしてやってくるMステのオープニング。出てきた彼らは…
 
あ、ごめんNEWSちゃうわ、関ジャニ∞や。
 
私とエイトとの出会いはこのような形で取り持たれた*1。「違うん?」あ、でも好きな人は出てるで!…この人!!「……」ぴよちゃんぴよぴよー♡友達がぴよちゃんと呼ぶ『好きな人』とは内くん。関西弁の変な曲*2を歌う『かんじゃにえいと』とテンションの上がる友達を交互に観ながら、その時間は過ぎて行った。
 
学年が上がるごとにジャニーズに恋する友達は増えていってはいたが、小学生の私は今一つその魅力を分かっていなかった。王子様か、同じ学年の某くんの方がずっと魅力的だった。
 
 
 
3.ぜんぶ女子校のせいだ!~中学校編・タッキーとの出会いとエイトの存在
小学校を卒業し、地元から少し離れた私立の中学校へと通い始めた。すぐに気の合う友達もでき、電車通学も次第に慣れていった。ほぼ女子校に近い環境に6年間身を置くと、節の名前に挙げた、ヤマダ氏の『ぜんぶ女子校のせいだ!』という事態が起きる。
ぜんぶ女子校のせいだ!

ぜんぶ女子校のせいだ!

 

 仁亀論争は根強く残っていたし、山P、内くん錦戸くんも人気があった。クラスの半数以上がジャニーズに興味を持つ、もしくは熱を上げている状態であった。

少ないお小遣いでやりくりする必要のあった私は、クラスの話題についていけるように、ドル誌の立ち読みをするようになった。その日も、私は地元の本屋さんに足を運んでいた。少し曇った日のことであった。ドル誌のコーナーで、私はとある雑誌の表紙を飾る人と、目と目ビビッとエレクトリック*3したのである。

 

これは…誰?もしかしてもしかすると私の王子様!?!?

 

絵に描いたような理想の王子様がそこにいた。何かに取り憑かれたかのように、2005年5月号のduetを手に取り、レジへ足を運んでいた。帰宅し、王子様のページを熟読した。王子様は5thシングルの発売を控えていることがわかった。その日のうちに、今年の誕生日プレゼントにはタッキー&翼の『仮面/未来航海』が欲しいことを家族に伝えた。

本屋で出会ったのは、タッキー&翼滝沢秀明さんであった。こんな書き方をすると翼に失礼だが、本当にこのときはタッキーしか目に映っていなかったように思う。

 

翌日から、私はタッキー宣伝部長になった。「見て!この人滝沢秀明って言うねんけどな…」

みんな当たり前のようにタッキーを知っていた

当たり前といえば当たり前である。だが、突然扉を開けた私にとって、世間一般の認知度など知る由もなかった。(みんなタッキーを知ってたん?なんで教えてくれなかったんや…)少しの嫉妬を感じつつも、私は毎日飽きることなくタッキーについて語った。そんな日々が楽しかった。

 

 

私が滝沢担としてクラスにも認識されてきた頃、内くんの件があった。詳細を書くことは控えるが、この約1か月後、私は内くんが好きだったあの友人と最後のお別れをした。後悔と憤りと悲しみと様々な感情が私の中をよぎり、あの変な歌でしかなかった大阪レイニーブルースは、歌詞の内容も相まって、心から離すことのできない曲へと昇華された。

内くんがいなくなったNEWSと関ジャニ∞をぼんやり見ていると、ずっと隣にいた人をなくした亮ちゃんの気丈さが切なく映った。「亮ちゃんが頑張っているから私も頑張る。」自分を奮い立たせるために亮ちゃんの活動、特に関ジャニ∞の仕事を追いかけるようになった。私のエイトの入りは内くんであり亮ちゃんであった。

 

当時のエイトの活動といえば、テレビは『ほんじゃに』、『∞のギモン』、『スカJ』といった深夜のレギュラー番組に、少クラやNHKの歌謡番組に出演するといった形で、どちらかといえばラジオがメインだったように感じる。MBSでやっていた『聞くジャニ∞』は、毎週メンバーのうち2人が出演し、むちゃぶりな企画に奮闘し、着地点の見えないトークを繰り広げていた。この番組が私は大好きだった。当時はネット環境を使うこともなかったため、毎週土曜日に新聞のラテ欄の『聞くジャニ〇×〇』を見て(〇×〇にはメンバーの頭文字が入る)、その日のメンバーを知るのが楽しみであった。

エイトのおもしろさをラジオで知り、『ミューパラ』、『通信』、『レコメン!』、『男前を~』と聞くラジオを増やしていった。『レコメン!』のガチンコでメンバーに電話をかける企画も大好きで、平日半ばの夜ふかしのせいで、金曜の朝は起きるのがつらかった。

 

元気をもらうために開いたエイトの扉の先で、私はメンバーの様々な魅力を知った。そして滝翼の応援の片手間で、エイトも応援するようになった。グループの人数が多いからか、気づけばエイトばかりになることもあったが、「一番はタッキー、二番は〇〇(時期によってここに入るエイトのメンバーは異なった)」が私の口癖だった。

中3の終わり頃には二番が横山さんで落ち着いており、当時、私は横山さんのことを『師匠』と呼んでいた。現在エイトの『師匠』といえば渋谷さんであるため、SNS等で横山さんを当時のように『師匠』と呼ぶことはない。

色白で美しく、タッキーと引けを取らない容貌を持つにもかかわらず、トークの切り返しが素晴らしい横山さんに、『弟子入り』したくて仕方がなかった当時の私は、横山さんを『師匠』と(勝手に)慕い、毎週のようにレコメン!にその旨をメールした。もちろん一度もメールが読まれることはなかったが。

 

 

私が中学生の頃にCDデビューをしたのはKAT-TUNとJUMPであった。自身がジャニオタとして初めて体感したKAT-TUNのデビューは、それはそれはすさまじいものであった。同じ時代に生きられてよかったと感動するほどのもので、この感動は、やはりまだ塗り替えられてはいない。今でもReal Faceのイントロが流れると、当時のことが思い出される。

 

あの無知であった小学生の頃とは打って変わり、中学生の私は、第1第2日曜日は少クラにウキウキし(途中から少プレも)、中3でおこづかいが月3000円になった頃には、ドル誌月4冊買いのジャニオタへの道を歩き始めたのであった。この頃はコンサートも友達任せで、誘われれば飛び跳ねて出向き、1ツアー1公演が幸せであった。中学生らしい茶の間ファンが楽しかった。

 

 

 

4.ぜんぶ女子校のせいだ!~高等学校編・アイドルになったらタッキーに会える?

〈1〉ジャニオタが恋をした

高校生になった。とはいっても中高一貫校に通っていたため、形ばかりの卒業式と入学式を済ませ、いつもと変わらぬコースメンバーで、『JK』という言葉の響きに酔いしれていた。中3の冬から有閑倶楽部ロスを負っていた私は、この頃、香椎由宇さんが演じていた白鹿野梨子の髪型をしていた。クラスでのあだ名は野梨子であった。この頃になると、ジャニオタを卒業する友人が増え、八乙女光くんを応援していた親友も、現実を見始めていた。

 

中学3年間ジャニーズに染まっていた私は、新しい刺激を求めていた。今でも私の人生のバイブルとなっているのだが、私は「高校生になったら『天使なんかじゃない*4』のような学園生活を送るんだ」と夢に描いていた。主人公の翠となんとなく性格や境遇が似ていた私は、「翠になる!」と意気込み、パンツ丸出し事件はさすがに起こさなかったが、生徒会に立候補し、無事に当選した。

私の学校は行事と部活は男女一緒に行うというスタイルであったので、生徒会は男子生徒もいた。小学6年生ぶりの、異性との接触であった(実際こんな感覚であった)。初めて家族以外の男性で、メアドを交換してアドレス登録をした先輩に、さっそく私は恋をした。女子校のような環境で過ごした私は、ふとした優しさに弱かった。親睦会の日程にと言われた日がバレエの発表会であったため、参加が難しいと送ったメールに、『そうか、バレエやってんねんな!発表会頑張って(^_^)』と返信が来た。恋に落ちたぜんぶ女子校のせいだ!!

 

その人は嵐の相葉くんに似ていた。キャラも『相葉ちゃん』だった。恋をした私は嵐の番組を観るようになった。実に単純である。生徒会の定例会があった月曜日は、『嵐の宿題くん』の放送もあったため、私は月曜日が大好きであった。初めは先輩主体で観始めた嵐の番組であったが、次第にメンバーの性格を知っていくにつれ、嵐が観たいからテレビを観るようになった。ちなみにこの相葉くんにそっくりな先輩とは、私の熱烈なアピールもむなしく、学校1美人と言われる先輩とお付き合いをされ、何事もなく終わった。

 

 

〈2〉スカート、ひらり事件

話は少し中学の頃に戻るのだが、『∞SAKA おばちゃんROCK』でエイトがMステに出演したときに、ちょっと不快感を覚えるアーティストが出ていた。それはMステ初出演だったAKB48であった。倫理に触れそうなパフォーマンスと、なんか微妙な歌唱力…私の方が上手く歌える、なんて正直なところ思ってしまった。そんなことを忘れかけてきた頃、翌週のレコメン!内での出来事であった。

 

横山:…それでは聞いてください、AKB48で『スカート、ひらり』。

 

えーーーーーーーー!!!!横山さんがあのグループの曲をかけたあ!!!!

当時中学生の私は、台本を読んだのではなく、横山さんがMステであの曲を気に入って、レコメン!でかけたのだとばかり思っていた。悲しかった。横山さんは私が微妙だと思ったものを気に入っていたのかと。しかし、私はめげなかった。とんだ勘違いであるが、アホな私は、「師匠が好きなものは私も好き!」とさっそくレンタルショップに足を運んだ。スカひらはインディーズだったためか、なかなか見つけることができず、店員さんにタイトルを言って場所を教えてもらったのがとても恥ずかしかった。

レンタルして聞いてみて、やっぱり歌は私の方が上手いかもしれないと思ったが、癖のあるメロディーや歌詞にだんだん惹かれて行った。そして、最高にアホな考えに辿り着いた。「もしかして、アイドルになったらタッキーに会える?」

 

というわけで、私は高校生の間に何度かオーディションを受けた(笑)。ホリプロやヘキサゴンの山田親太朗さんの相方…など、大手ばかりを受け、書類審査さえ通りもしなかった。唯一受かったのは、地元のミュージカルのオーディション。初めていただいたのは『ダンサーの枡実乃里』役である。

ドル誌よりもオーディション誌を読むようになり、女性アイドルの研究もした。その結果、嫌悪感を抱いたAKBや、ヘキサゴンのPaboにもハマり、友達の影響もあって、冒頭で述べたBuono!に熱をあげた。AKBは現在JKT48に所属する仲川遥香ちゃん、Buono!夏焼雅ちゃんが推しメンであった。高校時代の私の写真を見ると、だいたいセンターで同じような角度で写っている*5

こんな浅はかな気持ちでアイドルが務まるわけもないし、そもそも、こんな下心でアイドルをしている方がいたら、私は全力で非難する。私の高校時代は『アホ』という言葉だけで話がまとまる。

 

 

〈3〉ハマったアイドルが年下

さて、上記以外に応援していたアイドルがいた。韓国のKARAである。これも友人の影響ではあるが、教えてもらって以来、毎日動画を観るほどハマった。高3の時には有志で『コーヒープリンセス2号店*6』というグループを結成し、文化祭や卒業ライブでダンスのコピーを披露するほどであった。私はKARAのジヨンのファンであったが、なんとこのKARAのジャイアントベイビーは私よりも年下であった。ジャニーズであれ、女性アイドルであれ、アイドルは年上だと思っていたが、いつの間にか、アイドルは同年代となっていた。そして、少しずつ、そのアイドルたちは年下になろうとしていた。夏の高校野球の球児たちの年齢に近づき、重なり追い越していくあの感覚を、初めてアイドルで体験したのである。ジャニーズでは勝利くんがそれであるが、女性アイドルの初めては、ジヨンであった。余談ではあるが、嵐の宿題くん劇団ひとりさんへの好感度が上がったのは言うまでもない*7

 

 

〈4〉ジャニーズから離れる

アホな日々を送っていたが、私も高3になると、受験のために様々な欲を断ち切った。ジャニーズは滝翼以外の雑誌やCDの購入、テレビの視聴等すべてをやめ、受験生としての日々を過ごすようになった。高2の頃に散った恋の矛先は、一緒に生徒会を運営していた横山さん似の別の先輩へと変わっていたが、高3の春に想いを告げたものの、曖昧な関係でいた。面倒見のいい先輩は、休日に勉強を見てくれたりしたので、ジャニーズがなくとも、なんだかんだやっていられた。ああ、ここでオタ卒ができかけていたのにね…。

 

 

 

5.ぜんぶ女子校のせいだ!~大学&大学院編・SNSの魔力

〈1〉普通の女の子を目指す

晴れて大学生になった私は、この期に及んでアイドルになろうとしていた。NMB48の2期生オーディションに応募するために、専用の履歴書に必要事項を書いて、審査が通った時のことを考え、カラオケでAKBの曲を練習して…。

大学に入学してすぐの日々の忙しさに追われ、締め切り日までに書類を送るのを忘れた。これはかなり悔やんだが、悔やんで悔やんでしょうがなく現実を受け止めた。その1週間後、先輩に「私って先輩の彼女ですか?」と大胆な質問を投げかけ、曖昧な関係に終止符を(無理矢理)打った。

(私は彼氏がいるから今はアイドルにはなれないねん♪)というわけで、初めて勝ち取った彼氏に勝手に全責任を押し付け、彼だけのアイドルになることを決めた。大学の初めの2年間はジャニオタというよりもどちらかといえば、KARAの方に夢中で、第2外国語に韓国語を選び、ファンミーティングでジヨンと話せるようにと意気込む(そんなファンミは実際にはなかったが)女子大生であった。ジャニーズは二の次だった。

 

 

〈2〉Twitterを始める

私のジャニオタ回帰は本当にここにしか原因はないと思っている。ビビリな私は、自分で責任を取れるようになるまで、つまり20歳を迎えるまでセーブしてきたものがいくつかあったが、その一つがTwitterであった。mixiでさえ、高校を卒業してから始めたのだが、19歳から20歳のタイミングが、ちょうどmixiからTwitterへの過渡期であったため、20歳を迎えてすぐに私はTwitterデビューをした。初めは高校時代の友達と大学の友達と、エイトのinfoさん等をフォローしていた。いわゆるリアアカである。Twitterのなんと情報の早いことか。目からうろこであった。

このリアアカで好き勝手にツイートを行っていたが、∞祭を過ぎたあたりから、主に高校の友人から多く苦情を寄せられることになった。「オマエはいつまでジャニオタをやってんねん」「横山以外につぶやくことないんかい」8EST長居がジェラワットで吹き飛んだ悲しみをしくしくしていたら「うるさい!リムるで!!」と。

この時すでに大学の友人一人をエイトの世界に引き込んでいたのだが、他にも友達が欲しくなっていた。ここで満を持してハチさんアカウントが開設された。ハチさんアカウントでは、長くお付き合いできるフォロワーさんに恵まれ、また、それまで手書きで自分メモをしていたラジオのレポも、便宜上Twitterで行うようになり、多くの方が見てくださる環境に変わった。Twitterにハマり、転げ落ちるように加速して*8、収めていたエイトへの熱を再び上げて行った。それと同時に、グループ内のゴタゴタもありKARAへの熱は少しずつ収まっていった。はるごんはジャカルタへ行ってしまった。

 

 

〈3〉多ステの経験と置かれた環境

2013年のエイトのコンサートJUKE BOXでは初の多ステを経験した。実際にはそれ以前にも同じコンサートや舞台に入ることもあったが、様々な会場の複数の公演に入るという経験はこの時が初めてであった。会場や座席によって見え方が変わるのを楽しんだり、ツボポイントを堪能したりと、コンサートの新たな楽しみ方を発見した。

 

このJUKE BOXの年は、彼氏よりもアイドルの皆さんにお目にかかる回数の方が多かった。アイドルをリア恋枠として見ているわけではないが*9、好きの感情を彼氏とジャニごとで満たす性質が、どうやら人一倍私にはあるらしい。言うほど現場に足を運んだわけではないが(下の記事参照)、

meiring.hatenablog.com

彼氏とは月に1回会えればいい方で、4か月会えないこともあるという付き合い方をしていた私には、テレビの中で楽しそうにしている彼らの方がずっと身近に感じることもあった。横山さんの笑顔を見ると、勝手に彼氏の笑ってる姿が目に映ることもあった(実に気持ち悪い)。

とにかく生活の中心はエイトで、各曜日それに見合った行動を取っていた。特に木曜日は夕方にバトントワリングをしていたため、帰り道は毎週レコメン!ダッシュと称した電車の乗り換えがあった。これに失敗すると、もれなく23時台のQrzoneとウルパワまで、夜ごはんはお預けであった*10

エイトと過ごす日々がずっと続くと思っていた。

 

 

〈4〉中島健人に被弾し佐藤勝利に落ちる

3節の終わり方ですでにフラグが立っているが、前述しているような、好きの感情の満たし方をしていると、取り返しのつかない事が起こる。(下の記事参照)

meiring.hatenablog.com

(話は変わるが、論文など一度発表したものを再び発表という形で載せると、それがたとえ自分のものであっても(自己)盗用となることを最近知った。)

簡単に要約すると、「彼氏とケンカをして横山さんを見ていられなくなり、セクゾの勝利くんに担降りをした」という大枠の中で、結論としては「彼氏と仲直りをし、横山さんと勝利くんの掛け持ちになった」というあたりである。こうしてまとめると、去年の今頃あれほど悩んでいたことが本当にしょうもなさ過ぎて鳥肌が立つ。

これを機に、エイトと滝翼の世界でしかなかったジャニーズの世界がかなり開かれていった。特に少クラを再び観始めたことで、Jr.まで守備範囲を広げ始めたのはかなり大きい。

 

 

〈5〉日々が愛のかたまり*11

最近はグループやデビューの有無を問わず、様々に発言できる場も設け、日々楽しく過ごしている。フォロワーさんに自担やグループのステマをしてもらうことが、なによりも楽しく、毎日が新たな発見となっている。とりあえず今は、早く『お兄ちゃん、ガチャ』を回したくて仕方がない。

その他でいえば、メイキングの素晴らしさに一目置く生活をしている。優馬くんの『YOLO moment』のメイキングで、優馬くんとトラジャの姿にキュンキュンしたり、フォロワーさんに紹介してもらった、ジャンプの『Chau#』のメイキングに感激したり、毎日忙しい。メイキングってなんでこんなに素晴らしいんだろう…*12

4月から環境が大きく変わっているのだが、今のところ、担降りの危機もなく、アイドルという尊い存在に感謝をする毎日を穏やかに過ごしている。現場が決まると心が乱れるときもあるが、基本的にこの穏やかさを保てているのは、本当にアイドルの皆さんのおかげである。

 

 

 

6.オタ卒

残念ながら、この項目はまだ今のところやってきていない。

 

 

 

 

 

さて、こうして見ていくことで、いかに私がふざけた思考のもとジャニオタをしてきたかがよくわかった。そして、再確認していく中で、私のDDの気質は以前からあったことに気づいた。このどうしようもない節操なしな性格は、この一年で形成されたかのように思っていたが、女性アイドルにうつつをぬかしていた高校時代のことを思うと、持って生まれた性格であったようだ。

そして、もう一つ気づいたことがあるが、これはどちらかというと気づいてしまったという表現の方が正しい。しかし、この法則が成立するとなると、私のオタ卒はまだまだずっと先になりそうなのだ。この観点は今はそっと胸に潜めておくことにする。

 

明後日は久しぶりの横山さんだ。

 

 

*1:観ていた当時は気づかなかったが、渋谷さんはその回は不在であった模様

*2:大阪レイニーブルース

*3:Chau#/Hey! Say! JUMP

*4:矢沢あい

*5:ちなみに、いつかアイドルになったら使うぞと意気込んで作ったキャッチコピーとサインが、私にはある

*6:韓国ドラマ『コーヒープリンス1号店』のもじり

*7:ゲストで出演された時にKARAへの愛を存分に語っていた

*8:Crazy Accel/A.B.C-Z

*9:一部例外を除く

*10:足の疲労骨折が治ったか治ってないかわからない状態で∞祭に行ったり、バトンのソロコンテストの時期にあったキスマイの約束コンとエイトのJBには、バトンを背負って二大ドームを巡ったこと…エイトに関してはソロコンに出場してから金メダルを握りしめて名古屋に向かったことなど、私のバトンとジャニのエピソードは数知れない

*11:愛のかたまり/KinKi Kids

*12:ウィークエンダー』のメイキングの伊野尾くんズルくない?あんな子だなんて聞いてない(褒めてる)