Words Of Love

王子はお姫様のキスで死ぬ

担降りをした話

今年の目標はオタ卒。
それが叶うか叶わないかはわからない、おそらく来年も目標に掲げているであろう。

たとえどう転んだとしても、昨年、私はジャニオタとして忘れられない経験をした。ここにその時の経緯と今の気持ちを残しておこうと思う。



前回の記事にて、昨年私は担降りをしたという話題を出した。

私は関ジャニ∞横山裕さんを長らく応援してきた。彼の愛らしい左のもみあげを語らせて右に出るものはいないと自負できるほど、私は彼の左のもみあげ担であった。
横山さん以外に気になる人は他にもいる。私のジャニーズへのきっかけとなったタッキーは、殿堂入りという立ち位置でその頂点に君臨しているが、他にも内くんや光一くんといった、キラキラ王道アイドルも気になる存在としてまなざしを向けていた。
そこに新たな刺客として2013年あたりからじわじわと迫って来ていたのがSexy Zone中島健人くんであった。
私が愛してやまない『キラキラ王子様』の王道を行く彼の姿は、私を惹きつけ離さなかった。



2014年春。
私は3月末に将来にかかわる問題を抱えており、不安定な精神の中、新年度をスタートさせていた。
友人に誘われてなんとなく始めた、エイト以外のアイドルを愛でる鍵アカのアイコンには、横山さん、タッキー、内くん、健人くんを4つの枠からのぞかせ、健人くんのキラキラ具合にときめき、5月に控えたKQJ鑑賞会のために友人3人で『ふまけんけん』というグループを結成し、ただ必死に新年度と戦っていた。
そんな中、私は購入したい欲を抑え(買ったら最後、その先が沼であることは分かっていた)、やっとセクゾのアルバム『Sexy Second』をレンタルすることができた。一曲ずつ聞いていき、それが終わったらランダムで聞きはじめ……アルバムを何周かした時であった。

ブスって言ったら殺すから

え?私は耳を疑った。もう一度聞いてみる。しかし聞き間違えなどしていなかった。
なんてことを…。若さあふれるフレッシュさが売りであるはずのSexy Zoneになんて歌詞の曲を歌わせるんだ!この歌は一体なんだ!?!?

私のオキテ/チキンバスケッツ

これが始まりであった。



アーティスト名を見て疑問を持つ。チキンバスケッツ、はて…。急いでグーグル先生にうかがうところによると、セクゾの佐藤勝利くんが主演したドラマ内のユニットであるとのこと。勝利くんを筆頭に羅列されるメンバーの名前もイマイチピンとこない。そんな中、私は検索のヒットにとんでもないものを見つけたのである。


彼らは女装をしていた。少女時代を彷彿させるような白を基調としたコスチュームとニーハイにブーツ。私は胸の高鳴りを感じずにはいられなかった。すぐに動画サイトでドラマ内の曲披露のシーンを再生した。
かわいい…かわいすぎる…かわいい……かわいい!!!!

ダニーちゃんかわいいいいいいいい!!!!!!!!

気が付けばセンターを張る金髪ボブのダニーちゃんに心を奪われていた。
端正な顔立ちに女子にしか見えない愛らしい笑顔。ブスなんて言えない、言えるわけがない、まさに美少女だった。
鍵アカはチキバbotとなり、来る日も来る日もダニーちゃん…♡とため息をついた。友人とのグループ名はとうとう『ふまけんけんしょり(略称『FKKS』)』に変更された。



セクゾの新曲が発売された。
『King & Queen & Joker』のPVを観るための第1回ふまけんけんしょり会が開催された。勝利くんはクイーン役として軽めの女装をしていた。かわいらしい。私はてっきりダニーちゃんに恋をしたのだと思っていたが、そうではなかったようだ。すっかり勝利くんの虜となっていた。チキバのオフショットを目当てに、私は『有閑倶楽部』以来のDVD BOX購入に踏み切る決意をした。自分の誕生日プレゼントとして。



5月。
それは私の誕生日以外に、自担である横山さんの誕生日でもあった。某所で行われた横山さんの生誕祭にも参加したが、心はなんとなく上の空であった。それでもまだそのときは横山さんは私の自担であった。
私の誕生日は横山さんよりもあとにやってくる。ハタチを過ぎてから特に何も感じなくなった、それでもおめでとうと言われるとやはりうれしいその日を、悲しくも彼氏に忘れられる(というと語弊があるかもしれないが、ないがしろにされる)という事件が起きた。それも2年連続。

ここで登場する突然の彼氏になんでやねんとツッコまれるかもしれないが、横山さんと彼氏は私の中で一心同体であった。
大好きな横山さんに似た面影と性格を持つ彼氏(当時生徒会の先輩)に惹かれた高校時代を経て、晴れて数年前よりお付き合いを始めた。最初は横山さんに似ているからというとんでもない感情から始まった恋であったが、歳を重ねるごとに彼氏には彼氏の良さを感じていた。
彼とは中キョリ恋愛であったことも相まって、私は彼氏と会えない時間をテレビやラジオの横山さんで埋める日々を過ごしてきた。横山さんが急にレコメン!から卒業したその翌日も、たまたま彼と約束をしており、横山さんへつのる寂しさを彼氏で埋めた。なんというしたたかな女であろうか。横山さんと彼氏は私の中の『好き』の感情を満たしてくれる存在であった。依存していた。


しかしそう感じていたのはどうやら私だけだったようだ。
横山さんは私のことなんて知らないし、私が横山さんの感情を満たすときは一eighterとしてであった。残念ながら、私の中で渦巻く、私生活での不安、辛さ、悔しさをそばで癒してくれたのは、横山さんでも彼氏でもなかった。いっぱいいっぱいになっていた私は、数年来積もり積もった彼氏への不満を一方的に爆発させ、勝手に年上への絶望と憤りを感じていた。子どもの頃から憧れた、年上のお兄ちゃんへの理想はあっという間に崩れ去り、その崩れ落ちた壁の先に見えたのは、優しい微笑みを向ける、年下の勝利くんであった。


あの時彼氏に対する不満が湧かなければ、担降りすることなんてなかったのではないかと、今私は考える。横山さんはとんだとばっちりを受けたのである。横山さんに似た彼氏に私が絶望したことによって。
2人は『好き』の対象であった。『好き』の感情を満たしたいときにうまい具合に調整していた二者のうちの片割れが、その対象でなくなったとき、片方に振りきれることは残念ながらなかった。私は2人に依存しきっていた。




この一件以降、私の勝利くんへの熱は上昇の一途を辿った。来る日も来る日もしょりたん……♡とため息をつき、友人とのグループ名はとうとう『ふまけんしょり(略称『FKS』)』に変更された。*1

横山さんをタッキーのように殿堂入りへと格上げする考えは、残念ながらその時は持ち合わせなかった。勝利くんがどんどん上がってくる中で、横山さんを追い抜いてしまったのである。むしろ横山さんへの熱が冷めてしまっていた。大好きだった彼氏に似た面影と性格を持つ横山さん(アイドル)を観るのがつらい日々が続いた。


彼氏とは仲直りをしてから笑って別れたかった。別れの場として私が選んだのは、関ジャニ∞がメンバー内で大喧嘩をしたときに、話し合いの場を設けて仲直りをした、堀江のカフェであった。電話やLINEでよりも直接会って自分の気持ちを伝えたかったためである。絶好の場所であった。
その日も店内にはeighterさんらしき人がいたように思う。私の伝えたかったことを伝え、彼の話を聞き、お互いに謝り仲直りができた。返すためにはずしていた彼からもらったプレゼントの指輪は、もう一度元の指にはめ返された。彼氏と仲直りをして終わった。別れ(られ)なかった。





私は6月に入ったオーソレの番協以降は、翌春からの自分の身分が決まるまで、現場を控えることにしていた。そのため、すでに開催が決定していた十祭には行かないことを決めていた。ちょうどそのころは横山さんを観るのがつらい時期であったので、決断はそこまで苦ではなかった。しかしそう決めた矢先に勝利くんのソロコン、そして奇しくも番協の日にセクゾの夏コンの開催が決まった(6/9。この日は両親の結婚記念日であり、番協日であり、少年収の日であり、彼氏に爆発した日でもあった。いろんな意味で忘れられない)。勝利くんのソロコンは考えすぎて嫌になるほど入りたいと考えたが、自身が東京遠征をしている状況ではなく、泣く泣く断念した。しかし、夏コンは聡マリは不在であったが神戸でも開催されることになっていた。関西在住の私が十分足を運べる場所であった。悩んだ。大学受験の年は一年間我慢をした。我慢ができた。ここで行ってしまうと私のポリシーに反する。FKSが誘ってくれてる。一日ぐらいいいか!出すだけ出して、外れたらそのときは我慢しよう!!

結果、Kちゃんがチケットを当ててくれ、十年ジャニオタをしていて初のアリーナに入りました。


私は十年来うちわを持たない主義でやってきたが、このとき人生初めてファンサうちわを作った。
『勝利』うちわと『ハート作って』・『You are my prince』うちわを。
普段私は勝利くんのことをしょりたん、もしくは神様と呼んでいるため、『You are my god』うちわを作りたいところであったが、そこは自粛した。どちらにしろ自己満であるが、私はジャニオタ十年目にして初めてうちわを作る楽しさ、うちわを持つ楽しさを知った。そしてファンサをもらう感動を知った。

神戸に行き、初めてこの目で神様を拝めたことは、私にとってプラスのベクトルとなった。夢のような神戸での一日を過ごし、私は現実へと切り替えた。2週間後、1か月後にあった戦いになんとか勝つことができた。勝利した。勝利くんは勝利の神様であった。



そんなこともあり、彼氏と仲直りしたものの、勝利くんへの熱は相変わらずで、エイトへの関心は薄れたままであった。このままひっそり、Twitterのエイトのアカウントから消えようかと考えたこともあったが、どうしてもそれができないでいた。勝利くんが好きになりました、さようなら。なんてことはできなかった。仲のいいフォロワーさんに担降りをしたことを告白することができなかったのだ。特に、毎日LINEをしていたすばる担の相方にはどうしても言えなかった。ラジオレポがおろそかになっても、誘ってくれた十祭に一緒に行けなくても、私の将来のために今は頑張りどきだ、頑張れと応援をしてくれた。十祭をあきらめた私のために、(大阪の)十祭3日目と称して息抜きに付き合ってくれた。そんなオタクごと以外にも気にかけてくれる優しい相方に、本当の気持ちを伝えられずにいた。春からの身分が決まり、忙しさから少し解放された時、沸き上ってきたのは相方への申し訳なさと自分のふがいなさであった。担降りとはこんなにつらいものなのか、担降りするまでも悩み、決意してほっとしたはずなのに、いつまでこの感情を持たなければならないのか。相方に伝えられない理由は、ただ相方に悲しい思いをさせたくないというその一心であった。担降りという言葉を使わずとも、セクゾにハマっていることを伝えて相方を悲しませるようなことがあってはならない。いろいろと考えた結果として、11月にあったセクゾのイベントは別件で東京に行くという嘘をついてしまった。この嘘は正しい嘘だったのだろうか。考えることを放棄したくてもそれができなかった。

もう何が正しいのかわからなくなっていた。いっそのこと勝利くんに『理解できない。横山くんのとこに行けば?』と某雑誌のように言われればすっきりしたのかもしれないが、残念ながら情報処理能力がキャパオーバーとなっていたわたしが取った行動は、底なしにジャニーズにのめりこむことであった。セクゾを知ることで私は周辺Jr.を知った。萩谷担のFちゃん、小瀧担のKちゃんとの集まりは、もっぱら3人の需要が一致する少クラを観る会となり、私自身少クラは毎週録画で観た。ガムシャラも観るようになった。ピラミッドの頂に勝利くんを置き、少クラの顕嵐くんや北斗くんに黄色い声を上げ、10月に行われた滝CHANnel運動会番協ではトラジャの魅力を知った。Jr.だけに収まりきらなかった。少プレを観てジャンプの有岡くんにハマったときは、あまりの可愛さに悶絶して美容院で髪型を同じにしてもらった。もうめちゃくちゃである。でも楽しかった。




そんな節、彼氏から将来一緒になろうと考えているということを告げられた。仲直りから3か月ほど経った頃であった。高校時代の私の片想い、猛アタック、3か月前の大爆発。騒ぎ出すのはほぼ私であるのだが、珍しく彼からのアクションであった。珍しいそのアクションが想像以上のもので、その衝撃はすさまじいものであった。
このブログの開設もかなりの影響を受けているのだが、勝利くんへの担降りの一つのポイントとなったのが、あややさんの書くブログとTwitterの内容であった。そのあややさんがたまにブログテーマに挙げられている『婚活』について、彼への爆発後、意識しなければならないと考えていた。別れを決意していた時も、仲直りをした後も、彼と結婚することはまずないと思っていた。好きだ嫌いだといった感情的なものではなく、そもそも彼が結婚を考えるような人ではなかったからである。しかし、どうやら私の意に反して、彼はそうしたことを考えてくれていた。20代前半にして婚活をする前にいきなり婚活が始まりそして終わった。


子どもの名前を『樹』で『じゅり』にしたいという話を華麗に却下されたものの、私は浮かれていた。私が爆発して以後、なんとなく立場が逆転していた中、彼からそのような言葉が聞けたのは意外であったが、素直にうれしかったからである。その日は理想の結婚式、生活、子どもの人数などを思いつくまま話題に出し、彼との幸せな家庭について思いを馳せた。
しかし、その浮かれポンチな思考は半日で終わる。翌朝、私は結婚に必要な資金を調べて絶句していた。グーグル先生はチキンバスケッツの事でも結婚資金の事でも何でも教えてくれる。
それなりの結婚式に新婚旅行、初期費用…etc…。すべて合わせて最低300万は必要であるとのことであった*2。2人で300万。1人あたり150万。まだ数年は学生の予定で、現在絶賛底なしのジャニオタである私には気が遠くなるような金額であった。通帳の残高を思い出して絶望をしていた。春からは学費も払わねばならない予定であった。早くもマリッジブルーに陥っていた。ジャニオタをやめなければ結婚は一生できないことが分かった。勝利くんが法的に結婚できる年齢になって数日たった日の事だった。


いっそお茶の間になれればと思ったが、そんなことなどできるわけがない。ならば、すっぱりセクゾ一筋になり、エイトやタキツバをあきらめる必要があった。エイトは十周年まっただ中、関ジャニズムツアーが終わった暁には…。

ちょうどいい節目であった。







12月。
忙しい時期を乗り越え、私はエイトの10周年を感じるために名古屋の地に降り立った。相方と合流し、仲のいいフォロワーさんと昼食を食べ、友人と久しぶりの再会を楽しんだ。いつでも会えるFKSと、名古屋でもとりあえず写真を撮った。そして迎えるJUKE BOXぶりの関ジャニ∞

楽しめないかもしれないと思っていた。一度は完璧に冷めてしまった熱であった。横山さんに心からの声援が送れるのか不安であった。
しかしそんな不安は一瞬で拭い去られた。
横山さんは最高で最強であり、ずっと応援してきた関ジャニ∞は最高で最強の関ジャニ∞であった。先にも述べたが、もとより横山さんと彼氏が一心同体であった私が、彼氏への気持ちが高まっている今、横山さんを愛でられないはずがなかった。一生懸命踊り、歌い、奏で、喋る横山さんは、本当に尊い存在で輝いていた。横山担に出戻った瞬間であった。
興奮冷めやらぬ中、一緒に公演に入った3人で、関パミニを何度も何度も観て笑い転げ、2014年最後のスバラジを聞き、また関パミニを観た。翌日もまた関パミニを観てから公演に入った。名古屋の思い出トップ3に入るのがもはや関パミニなのだが、とにかく私は開演するその瞬間まで感じていた悩みをその一瞬で解決していたのである。「とりあえず考えるべきことは置いておいて、ひとまず楽しもう」としていた、関ジャニズムを私は全力で楽しんで完走したのであった。





翌年の京セラもツアーファイナルまで入り、いい節目だと考えていたその日がやってきた。ふとTwitterのTLを見ると、私が長らく横山担の鏡であると尊敬の念を込めていた米太郎さんがオタ卒を宣言されていた。本来なら私もこのタイミングで担降りを宣言する予定であった。そのためにスマホのメモ帳には長々と感謝の言葉をしたためていた。だが、私はやはりエイトを離れることができなかった。






2014年4月から2015年1月までの9か月、私は様々な現場に足を運んだ。それまでエイトとタキツバだけでしかなかった私の世界はとても狭く、井の中の蛙状態であった。現場が変われば、観る対象も変わり、ファン層も変わる、ルールも変わる。それに新鮮味を感じることもあったが、やはり慣れ親しんだエイトと比べている自分がいた。特にこの一年で感じたものは派閥問題、そしてセクゾ形態問題であった。
ジュリー班と飯島班、どのグループがどちらについているのかさえ興味がなかった私であったが、広くジャニーズを観る機会を得た昨年は、その派閥問題をありありと感じることができた。そして、そもそもそのような状態にあるなんて知らなかったセクゾの問題が、セクゾ新規の私には理解し難かった。最初は、初期のエイトでいうトークのヨコヒナを筆頭に内くん亮ちゃん渋谷さんがセンターを張る中で、関ジミと呼ばれた丸山安田大倉くんにライトが当たらない時期があったことを思い出し、5年もすれば聡くんマリウスくんにも機会が回ってくるよと悠長に考えていた。しかしその差の付け方は異常であり、Sexy Zoneというグループの活動が、マイナスへのベクトルにしか感じられなかった。特に、その状況に憤りを感じる風磨くんが、何かアクションを起こしたいのにそれも叶わず、そうした自分に憤っているというように感じられる場面に出くわし、若くフレッシュさあふれるはずのグループへの負の感情をも持った。
そんなグループのセンターを任される、シンメを持たない絶対的エースの勝利くんに、私はエイトに見られない何かを感じた。そしてグループの問題も相まって応援したくなったのである。

輝きを放ちながらもどことなく儚く、生と死、静と動を感じさせる、弱冠十八歳には見えない―むしろ十八歳という少年であるからこそなのかもしれない―そのたたずまいに、私は虜にされたのであった。
私は関ジャニ∞横山裕さんからSexy Zone佐藤勝利くんに担降りをした。勝利くんに『僕らは前に進まなきゃ』と言われ、私はエイトへの未練を断ち切った。『素直になりなよ』という言葉に従い、私は勝利くんのもとへ進む道を変更した。とても清々しかった。



しかし、私はエイトにまた引き込まれたのである。そしてグループを引っ張る最年長の横山さんに惹かれたのである。約半年という早すぎる出戻りであった。出戻ってきたものの勝利くんを好きな気持ちが無くなった訳ではない。減ってしまったわけでもない。抱く感情が異なる2人を天秤にはかけたくないが、担当は誰ですかと聞かれたら、悩んだ末に『Sexy Zone佐藤勝利くんです』と答えるであろう。勝利くんと横山さんのその差はあまり変わらない。横山さんへの気持ちは冷めていく前と変わらない気持ちを持っているが、そこをほんの少し勝利くんが越えた状況で落ち着いている。




三内丸山遺跡、目安箱、錦絵…etc…
中高時代、エイトのメンバーに関する単語が出てくるたびにわーきゃー言い続けた日本史を、私は大学の4年間学んでいた。史実は一視点のみから見ることは危険なことであり、様々な観点からのアプローチが必要であるということを知り得た。青春時代にエイトに染まることがなければ、その分野に進むことも、知ることもなかったことである。少し言いがかりにはなるが、私はエイトに染められ、教えられたように、エイトの歴史を広い視野から見ていくことに…つまりは掛け持ちで応援しようと決めた。

『掛け持ち』は賛否が分かれ、好まない人も多いことを私は理解している。私のエイトのアカウントのフォロワーさんにも、嫌う人がいることを知っている。しかし、掛け持ちだからこその知識や視点で知りうることもあるはずであり、私はそういった発見を得たいと考えた。一途でないことを疎まれるかもしれないが、私はこのスタンスを取ることに決めた。




勝利くんと出会った2014年は、私のジャニオタ人生に大きな変化があった一年であった。様々な貯金を始め、絶好のオタ卒のタイミングであるにも関わらず、また、このブログの冒頭でオタ卒を掲げているにも関わらず、まさかの泥沼を進む気でしかない2015年。『どうして愛はお金がかかるんだろう?』…まさにこれである。
ジャニオタである前に一学生である、自身の分をわきまえ、現実の恋にもアイドルへの想いにもお金が必要なこの世の中を、今年もまた駆け抜けていこうと思う。

*1:私が担降りを報告したふまけんしょり会の後、ふま推し(以下Fちゃん)も横山さんから萩谷慧悟くんへ、少し経ってけん担当(以下Kちゃん)も底なしDDから小瀧望くんへと降りた。現在もFKSは仲良く定期的に集まるが、グループ名の由来となるセクゾを担当とする者は気づけば私だけである。

*2:私調べ