Words Of Love

王子はお姫様のキスで死ぬ

ハプニングとオタ活の話

みなさんは、現場前に怪我やハプニングに見舞われたことはあるだろうか。
思い返すと、ハプニングの中、それでも私は現場に行く、を貫くことが多かった。そしてこれからも、そのスタンスは変わらないのであろうなとぼんやり思っている。
というわけで、私のハプニングと現場の思い出を徒然なるままに書き止めようと思う。





エピソード1
TOKIOのライブ→体育祭→TOKIOのライブ

これは2009年のTOKIO LIVE TOUR OVER 30's WORLDのときである。
知り合いからライブのチケットを2日分譲り受け、初のTOKIOのライブに向かった。この初めてのTOKIOのライブがすごく楽しくて、バンドスタイルのかっこよさ、大人の魅力に満足して2日間の1日目を終えた。城島ソング?かな、メンバー紹介の曲が今でも印象に残ってる。彼らの若いときの写真が画面に映り、ニュアンスだが、そんな僕が…over30!みたいな感じで、おちゃらけたのとかっこいいのが共存していた。エイトで例えるなら三馬鹿『Answer』である。画面も見たいしパフォーマンスも見たいし…というやつだった。

当時私は華のJKだったのだが、在籍していた学校の体育祭は、女子は学年の団体演技と、クラスの選ばれし10人がクラス対抗リレーに出場するというだけの、結構緩めの行事だった。ライブの2日目にちょうど体育祭があり、ライブの余韻に浸りながら私は学校に向かった。無論、ダンスを踊るためだけに登校していたのだが、そのころ学校ではクラスの第一走者が病欠することが報告され、たまたまリレー補欠者として名簿に上がっていた私が第一走を走ることが運命のように定められていた。登校後、よくわからないまま開会式までにバトンパスの練習が突如組み込まれ、練習時間15分でクラス代表で走ることを余儀なくされた。

結局予選と本選を走りきり、ダンスも張り切って踊り、体育祭を無事に終えることができたのだが、リレーメンバーに誘われた打ち上げには「ごめん、TOKIOに会いに行くから」と言って断った。2日目のライブもTOKIO兄さんたちはかっこよかった。

この頃はなんだかんだ体力もあり、何も考えずに2日間のはしごを貫徹できたのだが、今考えるとこんなハプニングとんでもないし、よくやったなとあの頃の自分を褒めてあげたいぐらいである。今は絶対無理。1日2公演すら足と腕が死にそうになる。



エピソード2
完治したか怪しい足で∞祭へ

続いては2012年の∞祭のときの話を。練習期間含め、バトントワリングの大会で足を酷使しすぎたことにより、左足の裏を疲労骨折。診断結果が出たのが6月の中旬で、完治の予定がちょうど∞祭の頃が示されていた。∞祭の前に診断してもらうことができなかったため、治ったか治らないかわからないまま∞祭に参加して、最高のアニバーサリーを楽しみ、∞祭後の検診で完治したという診断を受けた。



エピソード3
日程の把握ミスで大会に出場してからライブに向かう

これは2013年のJUKE BOXのときだったはず。同じくバトントワリングの大会があったのだが、完全に大会の日程を把握し間違えていて、エントリーしてから、名古屋と日程被ってるやん!!となった。結局、京都で開催されたソロの大会に出場し、ゴールドのメダルを握りしめながら、相方が先に乗る新幹線に乗り込み、バトンと衣装で膨れ上がった大荷物で名古屋へ向かった。



私の大学生活は、サークルだと思って入ったのが部活で、未経験なのにクラシックバレエを習っていたことから、めっちゃ踊らされ、フォーメーションの移動をさせられ、床を転がされ…というバトンによって体を酷使しボロボロアザだらけになった4年間であった。人間関係も悩まされることしかなかったけど、バトンが好きっていう思いだけで走りきった4年間だったなと。そして、今エイトアカウントで仲良くしてもらっている大半の相互フォロワーさんが、その時期に出会った方々だなあとなんだか感慨深くなる。



エピソード4
腰にコルセットを巻きながら (☆u∂)好きやで? に崩れ落ちる

2015年のSexy Zoneのセクパワから。バトン生活で骨折系2回、筋痛める系3回、年中アザだらけと怪我だらけだった私が一番辛かったのが、ぎっくり腰になったことなのだが、引退してからも腰痛には不定期で苦しめられている(現在進行形)。このときはデスクワークをしていたときにぎっくり!となり、しかも診察に行く間も無くゴールデンウィークに入り、連休中にあるコンサートも絶望的だったのだが、コルセットを巻いて家にあった鎮痛剤を飲むことで2日間3公演に足を運んだ。結局。

このときは勝利くんが、ソロ曲『好きだよ』の前奏で (☆u∂)好きやで? と大阪バージョンを披露しており、勝利くんの関西弁芸人の私は、ハイの状態で腰から崩れ落ちていた。ちなみにその時期は痛みで夜は眠れない、日々の動きは腰を曲げない平行移動を心がけるといった生活を送っていたので、改めて勝利くんはすごい人だと思う←

ちなみに勝利くんの (☆u∂)好きやで? については、こちらの記事をご参照ください。

meiring.hatenablog.com


エピソード5
閑也くんに会ったら喘息が治った奇跡の2時間

今年のJr.祭りの話。昨年の秋から喘息に悩まされているのだが、思い出したかのように、今年も4月の終わりから5月の半ばまで喘息がぶり返し、いっそのこと楽にしてくれというぐらいぜーぜー言っていた。
ああ、もうすぐ秋がやってくる…この秋も喘息に悩まされるのかな。大人になってからなる喘息は面倒らしいし。いやだな。(以上心の声)
で、特に今年の4月下旬はほんとにしんどくて、仕事も休んでしまうほど(というか喘息は喋り商売の私にとって死活問題なのだが)で、死にかけていたのだが、どうしても吉澤閑也くんに会いたくて、フォロワーさんに誘ってもらいゴールデンウィークのお祭りに出かけた。

コンサート中に喘息が出たら最悪だと思い、マスク、のど飴、口元用タオルハンカチなど万全の態勢で臨んだのだが、閑也くんの輝くステージを拝見する2時間は発作が起こることもなく、2公演計4時間、私は最高の特効薬を得ることに成功していた。
と言っても、通常時のように「盛り上がってるか!?」のあおりに対して声援は返せなかったのだが、それでも一日中咳き込む日々を過ごしていたあの時期の奇跡であった。
言うまでもなく、帰りはぜーぜー言いながら帰宅した。





というわけで若気の至り、怪我、うっかりやらかしといった5つのエピソードを挙げてみた。5つに絞るのに困ったのが残念すぎる。なぜこれほどまでに現場前に何か起きるんだ。
人にうつるような病気であれば、私は現場は諦めようと思うし、できれば他の人も諦めてほしい(集団感染的な意味で)と思うが、おそらく今後も怪我であれば多少無理をしてでも現場へ向かってしまうような気がする。
人に迷惑をかけない応援スタンスは今後も続けていきたい。

最後にすみません。福岡公演オーラスを探しています。お心当たりある方は
めいりん (@eighter_mei) | Twitter
までよろしくお願いします。

書きたい欲が満たされたところでパソコンを閉じようと思う。
ああ、腰が痛い。