Words Of Love

王子はお姫様のキスで死ぬ

有島武郎『一房の葡萄』の「僕」が川島如恵留っぽくて好きだという話

私生活とジャニごと。どちらも夏に向けての追い込みが始まった。あともう少し踏ん張れば、楽しいたのしい夏がやってくる。


7月1日にプレゾンDVDとセクゾの新曲『Cha-Cha-Cha チャンピオン』が発売された。
どちらも待ちに待った作品で、特にプレゾンに関しては、私の入った初日公演の模様が特典として入っていたため、発売の喜びはひとしおであった。
セクゾの新曲の特典はまだ鑑賞できていない状態が続いているが、プレゾンを楽しむ電車での時間は、癒しと活力の源となっており、おかげで日々、ハッピーハッピーラッキーなジャニオタライフを過ごさせていただいている。



そんなハピラキな私だが、普段は古典文学を筆頭に、文学作品や児童文学に関わる機会が多い環境にいる。今はまだ必要に駆られて読むという、受動的な摂取という形が多いのだが、文学の楽しさを今さらながらに気付き始めている。中高時代、はたまた学部時代に及び、読書といえばドル誌だけだったことを少し後悔しながら。

2、3日前より有島武郎の作品やそれらに関する論文を読んでいるのだが、今日読んだ『一房の葡萄』が、久しぶりに三馬鹿『おてがみ』のような事態を生み出してしまった。

一房の葡萄』に出てくる「僕」が、ジャニーズJr.、Travis Japanの川島如恵留くんとそっくりなのだ。

一房の葡萄』自体は過去に読んだことがあったが、有島武郎の生い立ちなどを踏まえ、じっくり読むのは初めてであった。作家論等を読んだ上で、この作品の「僕」が、有島武郎の幼少期の経験によって生まれていることを念頭に置き、心機一転読み始めたのだが、「僕」の性格や置かれる環境、あふれるセレブ感がTravis Japanの彼でしかない。如恵留くんでしかないのだ。
読み返せば読み返すほど、『まだジャニーズに入る前の幼き如恵留くんが、とある過ちをきっかけに、愛と罪についてを子どもながらに知った話』なのである。太字でそっくりだと書いたが、『私の想像の中の幼い如恵留くんにそっくり』という言い方の方が正しい。文章の最後の「大理石のような白い美しい手はどこにも見つかりません。」の後には、『でも、その白い美しい手の代わりに、僕は8人の仲間を見つけたのです。』という文章が続いているように見えてくるのである。二次創作的なものは好まないのだが、暑さに思考がやられたのか、非常に危険な段階までに行き着いてしまった*1


これはあくまでも私のイメージの如恵留くんが「僕」と一致したというだけなので、『こんなの如恵留くんじゃない』と如恵留くんファンの方には怒られるかもしれない。如恵留くんファンだけでなく、こんな読み方をしたら、作品のファンにも怒られる。しかし、メンバー8人をまとめ上げる眼差しや、風格の形成は、幼少期の様々な素敵な経験があってのものだと感じている私は、どうしてもこの作品のような経験をしていそうだなという妄想や、そんな経験をしておいてほしいといった願望を持ってしまった。
如恵留くんの幼少期のエピソードなどは詳しく知らないのだが、ほっこりするような如恵留くんエピソードがあれば、ぜひともご教示いただきたい。





《簡単な補足》
有島武郎(1878~1923)
幼少期、横浜のミッションスクールに通い、学習院予科へ移る。当時の皇太子(大正天皇)の学友に選ばれる。後に札幌農学校に進学し、新渡戸稲造に出会う。キリスト教へも入信したが、ハーバード大学在学中に、日露戦争が勃発すると、信仰に疑問を抱き、教えを乞わなくなった。父と妻を亡くしたことをきっかけに、作家生活を本格化させていった。白樺派。作品『一房の葡萄』の初出は「赤い鳥」1920(大正9)年8月号。自身がミッションスクールで経験・体験したものを取材した作品。

一房の葡萄』は青空文庫から読めるので、興味のある方はぜひ。
有島武郎 一房の葡萄

*1:とりあえず、「僕」がヒロキ(仲田拡輝くん)と出会うところまでは脳内で話を展開した